マツケンの記録場

教育について

評価スケール①

読んで実践しようと思ったことについてメモ。

 

「学びの上限をなくす」

パーセンテージ評価では、残念なことに、究極の目標は100パーセントです。生徒が「100パーセントを取ったよ!」と誇らしげに報告したり、「100パーセントが取れるといいな」と夢を語るのをよく耳にします。このような発言を聞いていると、パーセンテージは自慢できるような基準ではなく、むしろ学びの可能性を制限するものとして感じることが多くなりました。

 

算数の授業では、単元終了後にふり返りを書いてもらっています。ふり返りの項目の1つは、「単元全体を通して、自分の学び方はどうでしたか?A.B.Cで自分を評価してください。なぜその評価をつけたのですか?理由を書いてください。」というものです。このふり返りをもとに面談を行います。子どもたちが書いたものへ質問していきながら、課題を明確にしたり、次の単元の目標を確認したりしていく…。単元が終わって点数が高かった低かったといったなどと一喜一憂するのではなく、単元が終わるごとに学び方をよりよくしていき、スパイラル的に成長していって欲しいと考えていました。

 

ですので、例え自己評価が何であろうと、次の学びへとエンパワーメントするよう心がけた面談をしているつもりでしたが…A.B.Cという評価って、何か言葉にはないズシリとくるものがあるような気がします。分かりやすく言えば、通知表…。Cという評価をもらって、よし、次こそはAをとれるように頑張ろう!と皆が皆なるわけではないですし、頑張る目的がAをとることになってしまうかもしれません。ぼく自身は毎年毎学期、音楽の評価がよくなく、歌うことが楽しくなくなってしまいました。(実際、カラオケで16点を取ったのです!確かにお世辞にも上手とは言えません!!あぁ、やっぱりぼくは…と思ったことを覚えています。ですがもし!評価が違っていれば-つまりA.B.Cではなくー、悲観的にはならずに、もしかしたら…歌うこと自体は好きだったかもしれません?!)

 

そこで本著で提案してあることが、「生徒の評価スケール」というものです。

 

メキシコのモンテレイにあるアメリカンスクール財団(ASFM)は、生徒の達成度を報告する際に数字を使うことをほぼやめ、その代わり表4・2に示すような表現を考案しました。

とあります。表4・2に示してあるものが、「生徒の評価スケール」。枠は「はじめたばかり」「できるようになりつつある」「満たしている」「継続して成長している」の4つ。本著では枠組みごとにそれがどのような状態を示すのかについても明記してあります。Aという上限ではなく、まだまだ成長中というマインドがステキ。

また、本著では以下のように続きます。

 

この枠組みでは、最終的な数値よりもフィードバックに重点を置くことができます。100パーセントというものは決して達成できるものではありません。もし達成できたとしたら、生徒はすでにやり切ったと思うことでしょう。私たちは学びに終わりがないことを知っています。この新しい表現法では、生徒が学習のどの段階にあるのか、前進するために何が必要なのかを具体的に話し合うことができるようになります。数字ではなく、成長に注目することができるのです。

 

自己評価と面談を通して、「前進するために何が必要なのかを具体的に話し合うこと」自体は、これまでと大きく変わるわけではありませんが、より元気に評価と向き合える工夫として、「生徒の評価スケール」を、早速ふり返りシートに落とし込んでいきたいと思います。

マインドセットから

学校や先生が元気になるにはどうしたらよいだろう?そんな視点で本を読むようになってから、やってみようと思うことがぐっと増えました。後日書きますが、直近で読んだものだけでも、エレベーターピッチや評価スケールなど。

 

 

 

苫野一徳は本を読む時、信念補強型ではなく、信念検証型で読むようにと言います。

ただ、難しい。意識しないと、自分に都合のよいように読んでしまいますし、新しいことを取り入れようとはなりづらいなと思います。

 

冒頭書いた通り、変わるきっかけは自分自身。読む視点をもって、よりよい何かを目指すマインドセットを改めて大事にしたいと思います。

話すことで

再来週、校内研修で算数の「学びの個別化・協同化」の授業を先生方に観ていただきます。その打ち合わせを行なったときのこと。

 

「今までの授業研修で、子どもの主体性を引き出すために、導入や発問を工夫したり、ゲームなどで惹きつけたりすることを教わる度に、あれ?子どもってそもそも主体性があるんじゃないの?教師が手を変え品を変え惹きつける必要はあるの?って思いながら、10年経ちました。」と話されていました。「子どもがそもそももっている主体性を大事にしたい。」という話になり、話題は渋谷区の探究について移っていきました。

 

全国初、午後の授業は「探究」に 来年度から渋谷区の全小中学校

 

こうして話すことで、普段抱えているけど口にしていないモヤモヤを、一緒に考えることができるなぁと感じました。

たくさんの先生とたくさん話す。今年は特に意識してみようと思います。

生徒指導

生徒指導主任として、先日、生徒指導協議会へ参加しました。そこで他の学校の先生から以下のようなお話がありました。

 

今年の校則の見直しは情報関係に特化して行なっているのですが、"知らない人とネットを通じて繋がらない"という校則について、子どもたちから「こんな校則があると困る。」という声があがり…職員はみんなびっくり。職員としては「やっぱり必要な校則だろう、」という声が多かったのですが、子どもたちになぜそう困るのかを聞くと、オンラインで会話しながらゲームを楽しむことが、子どもにとっては当たり前のことだそうです。私たちとは違うからこそ、まずは子どもたちがどう思っているのかを聞くことからスタートさせないといけないなと思いました。

 

吉田新一郎さんが読まれた本、『教師と親のための子どもの問題行動を解決する3ステップ』(ロス・W・グリーン)では、①共感する、②問題定義、③提案の3ステップが紹介してあるそうです。

 

 

購入したものの手元には届いていないので、まだ読んではいませんが…

生徒指導というと上から押し付けたり行動を改めさせたりといったイメージが根強くあります。が、それでは子どもの元気は奪われてしまうだけです。問題とされる行動も、成長のチャンス。問題とされる行動を解決することが目的ではないはず…。まずは共感しようという姿勢で、子どもたちの声を聞くことの大切さを改めて感じた出来事でした。

正しさより…

昔々、父から言われた言葉。

「正しさより、関係性。」

 

いくら正しいことを言ったって、関係性が薄いと響きにくい。まずは、関係性を大事にしよう。

 

一方で父は、こんなことも言っていました。

「誰が正しいかではく、何が正しいかで判断しなさい。」

 

関係性が深くなればなるほどに、その人が言うことを鼻からよしとしてしまっていることはないだろうか。関係性が薄い人の言うことにもきちんと耳を傾けてられているだろうか。自身に問いかけなさい。

 

父からもらったメッセージを何かと思い出す年末。

今年は父と新年を迎えられそう。久しぶりに、教育談義に花を咲かせたいものです。

 

「学びの個別化・協同化」をスタートして④

テスト後、子どもたちは単元全体のふり返りをします。その際に行われていた会話を遠くから聞いていました。メモしたので転記。

 

「今回人に頼りすぎてたし、自分を甘やかしていたなー…。」

「人に頼らないと分からないところは無くせないから頼っていいんだよ!私も頼ってるし!win win!」

「でも、わたし(自分を)甘やかし過ぎてない?」

「それってどういうこと?」

「集中力、私全然ないんだよね。」

「私もだよ!習い事の時、しょっちゅう言われるもん!」

「大人もそうなのかなぁ?」

「大人もそうだよ。集中力は一旦置いておいて、甘やかし過ぎてるってどういうこと?」

「人に頼りすぎてない?」

(2人の会話を途中から聞いていた同じ班の人が会話に入ってきて、)

「分からないところは一回自分で考えてみて、それでも分からなければ、人に聞くといいんじゃない?」

「あぁ、そっか!」

「で、集中力だけど、好きなことって集中できるじゃん?」

「ゲームとか!」

「そう!だから算数を好きになればいい!」

「うん、算数、好きになっていってる!」

「ならオッケー!」

 

人の力を借りることがどういうことか、自分を甘やかすとはどういうことか、子どもたちなりに考えをもつことができているようです。頼もしい限り!

「学びの個別化・協同化」をスタートして③

「学びの個別化・協同化」をスタートして① - マツケンの記録場

「学びの個別化・協同化」をスタートして② - マツケンの記録場

 

「学びの個別化・協同化」をスタートして2単元目。それまでよりも相互のやり取りが活発に。

 

その理由の1つには、「ちょっとここ分からないんだけど…」と言う機会が増えたことがあります。子どもたちを観察していると、そうした声があちらこちらから聞こえてくる。そして聞こえた先を見ると、「分からないんだけど…」の声に、手を止め顔を近づける姿が見られる。

 

「自立」とは、何でも自分ですることではなく、助けがなければ自分一人ではできない時に、自分のほうから誰かに「助けて」と言える力をつけることなのです。私たちはみなが同じように何でもできなければならないのではなく、できないことがあって当たり前。できない時には誰かに助けを求める、これが「自立」です。リヒテルズ直子・苫野一徳『公教育で社会をつくる ほんとうの対話、ほんとうの自由』日本評論社 2023

 


ただ、だからやっぱり、「助けて」と声を上げたときにサポートしてくれる人がいる、そんな関係性がある、ということが重要なのだとも思います。相互のやり取りが活発になったもう1つの理由はここ。なんとなく気にしていて、大丈夫そうだと判断したらそっと自分の学びに戻る。ミニ先生のように?一方的に教えることを目的としていない、ケアし合う関係。そんな関係性の中にある安心感に包まれながら、力を貸し借りし、個々の成長が互いの成長を支え合ったり、互いを認め尊重し合う感度が育まれていったりする経験が、日常の中ではもちろん、学びの中でも大切にされたいことだと思います。

 

イエナプラン教育を創設したペーター・ペーターセンが目指したのは、

学力向上だけを目的としたものにとどまらない学校でした。それは、子どもが人間として全人的に発達する場としての学校であり、社会の中で(自分とは異なる)他者とかかわり、共感したり協働したりしながら、常に他者との共存の中で「アクティブ」に学ぶ場所です。 リヒテルズ直子・苫野一徳『公教育をイチから考えよう』日本評論社 2016 

とあります。

 

〈「アクティブ」に学ぶ〉といえば、「アクティブラーニング」と言われて久しいですが、「アクティブ」に活動する時間を無理くり設けて、子どもたちが「アクティブ」に活動したかどうかを評価する、そんな「アクティブ」さではなく、

 

「アクティブ」に活動する選択肢が子どもたちの手にあり、安心して実行できる、そんな環境を子どもたちと一緒につくっていくこと。まずはここを大切にしたいと改めて感じるところです…。