マツケンの記録場

教育について

評価につながるは人間関係

昨日のジャーナルのテーマは、「最近感じたクラスメイトのよさは?」

ユーモアを交えながら、サポートしてくれた人への感謝の気持ちを書いていた人、クラスメイト全員分のよさを書いていた人。計3人分のジャーナルを今朝、紹介しました。笑いもあり、あたたかい空気に包まれました。

 

思い返せばこうした場をあたためる機会を疎かにしていたなと思います。

以前は恥ずかしげもなく子どもたちに、「好きだ!」と伝えていたし、くさいような話もしていたのですが…。

薄々感じていた以前と今の子どもたちとの関係性の違いに向き合わされたのでした。

 

でも、だからこそ、今からでも、改めて場をあたためる機会を繰り返しやっていきたいと思います。それはきっと文化になる。それは経験済み。

 

話は評価へと変わります。最近ずっと悩んでいること。評価はどうあればよいのか…。

昨日読んだ評価にまつわる本。

心にぐっときていた部分が、今朝の出来事とつながります。

 

まだ1章しか読んでいないのですが、その1章がすごい。タイトルは「信頼できるだけの人間関係を築いて学びをサポートする」

 

大事な関係性を築くと、生徒が目標を達成するために必要とされることや改善しなければいけない点について、最善となる対処法が分かるようになります。そうなると、効果的で一人ひとりのニーズに合った評価の開発が可能となります。

 

子ども全体、その人のバックグラウンドやアイデンティティなど、全体を考慮することが、評価のスタート。つまり、人間関係を築くことから始める。

 

評価については継続的に考えつつも、まずは関係性を築くことを大切にしていこうと思います。場をあたためるためにすることも、関係性を築くためには大事。もっともっと子どもたちのことを知る、聞く、つながる、知ってもらう、聞いてもらう。がんばろう!

こころもち

年度はじめ、校長先生から教えていただいた本。

オススメされた、「こころもち」を再読。

 

こころもち

 子どもは心もちに生きている。その心もちを汲んでくれる人、その心もちに触れてくれる人だけが、子どもにとって、有り難い人、うれしい人である。

 子どもの心もちは、極めてかすかに、極めて短い。濃い心もち、久しい心もちは、誰でも見落とさない。かすかにして短き心もちを見落とさない人だけが、子どもと倶にいる人である。

 心もちは心もちである。その原因、理由とは別のことである。ましてや、その結果とは切り離されることである。多くの人が、原因や理由をたずねて、子どもの今の心もちを共感してくれない。結果がどうなるかを問うて、今の、此の、心もちを諒察してくれない。殊に先生という人がそうだ。

 

 その子の今の心もちにのみ、今のその子がある。

 

「こころもち」の次は「廊下」というタイトルの章なのですが、こちらもいい!

一部紹介。

 

お世話になる先生、お手数をかける先生、それは有り難い先生である。しかし有り難い先生よりも、もっとほしいのはうれしい先生である。そのうれしい先生はその時々の心もちに共感してくれる先生である。

 

ありのまま、受け止めてくれる人が側にいるといいですよね!

 

じゃあ、ありのままって?

子どもたちのことをどこまで知っているのだろう…?得意なこと、好きなこと、こだわり…

聞く、知ることから始めます。

評価スケール②評価に関する取組

評価に関する取組を2つ、やってみました。

①「生徒の評価スケール」をふり返りシートに用いる。

②テストの点数をつけず、コメントを添えて返す。 

 

やってみて、子どもたちはどう感じたのか、フィードバックをもらったので、それぞれまとめていきます。

 

①「生徒の評価スケール」をふり返りシートに用いる。

やったことについて、まずはこちらを。評価スケール① - マツケンの記録場

算数の単元全体のふり返りの際に、自己評価としてA.B.Cのいずれかをつけ、その理由を書いてもらっていましたが、自己評価として「できるようになりつつある」「満たしている」「継続して成長している」のいずれかをつけ、その理由を書いてもらうようにしました。

 

子どもたちからフィードバックをもらう前に、既にやってみての手応えが!それは、「できるようになりつつある」という評価をつけた人とやり取りしたときのこと。

 

評価・・・できるようになりつつある

理由・・・分からないところがあったときに、最初は自分で考えて、どうしても分からなかったら友だちに聞くこと。

「詳しく教えてくれる?」

「前、分からない問題があったとき、分からないのに何もしてなくて時間だけが過ぎていってたけど、前回友だちに聞くようになって分かるようにもなったし時間もあんまりかからなくて、でも今回は最初は自分で考えてから、どうしても分からないところを聞くようになったところが、できるようになっている途中のところです。」

「なるほど!今回からやり始めるようになったことって、できていないってことではないもんね!」

「なんか、Cだとできていないみたいになるけど、これだと次、満たしている、その次継続して成長しているになるように、どんどん成長していこうってなります。」

「じゃあ確認、次の単元の課題は?」

「自分でまずは考える。そしてどうしても分からなかったら友だちに聞く。これをしっかりできるようにします!」

 

現時点で「できていない」と捉えてしまう(Cという)評価。現時点は「できつつある」ところでこれからもっと成長できると思える評価。ここには大きな差があるなぁと感じました。

 

子どもたちからのフィードバック

  • いいと思います。理由は、通知表とか見ると、自分は頑張ったのに「C」だったのかぁ〜と思ったりして落ち込むことがあるからです。
  • これもいいと思います!具体的に考えるから今の自分の現状が分かるし、これからどうするかについて生かせられるのでいいと思います。
  • A.B.Cだと書くのは速いけど、具体的にどこがいい感じなのかなど分からないし、なんかランクづけのような気がするから、言葉で表す方がいいかなと思います。
  • ぼく的にめっちゃいいと思う。安心もするし、これからも頑張ろうと自分を勇気づけることもできるから、これはとてもいいと思いました。あと、これを見たとき一瞬、「KUMON【公文式)に似ているな〜」と思いました。
  • 自分的にはA.B.Cでも似たような感じで捉えていたからどっちでもいいと思いました。
  • A.B.Cだとよかったと思うところもあるけどわるいところもあるときに、A.B.Cでつけると難しかったりするからです。A.B.CだとCがわるいイメージがあるけど、「できるようになりつつある」「満たしている」「継続して成長している」だとどれもいいイメージがあるから。
  • 評価もテストと同じで、もしCだったら落ち込むけど、今回のだと得意になっていくかなと思いました。成長していこうと思えます。

6年生全員、肯定的に捉えていました。

 

②テストの点数をつけず、コメントを添えて返す。

何をやったかというと…

こちらの本を参考に、テストの返却の仕方を変えてみました。

 

 

テストの返却の仕方として、1.点数をつけずにコメントだけを書いて返す、2.コメントがなくて、点数だけを書いて返す、3.コメントと点数の両方をつけて返す

という3つのパターンを11〜12歳の子どもたちを対象に試したところ、1は、2・3と比べて30%も伸びたそうです!

これをもとに、今学期からテストに点数をつけず、テストを返却する際にコメントを口頭で伝えるようにしました。(今のところ、算数と社会で実施。)

伝える内容として意識したことは、間違った問題に着目し、理解できているよ(理解できるようになるよ)ということと、これまで(これから)の学びにはきちんと価値があるよということ。(これでよかったのか…。何をどう伝えるとよいのか悩むところ…。)

子どもたちからのフィードバック

  • いいと思います。前にテストでわるい点数をとったときに落ち込んだからです。コメントがあると次頑張ろうと思えるからです。
  • 点数をつけずにコメントがあると、私もみんなも落ち込まないし、また頑張ろうという気持ちになると思いました。
  • 今まで点数をつけてあったけど、今はコメントやアドバイスがあって助かっています。いい点数でも悪い点数でもつけられたら、そこで満足したりそこであきらめかけたりして、やる気が下がると思いました。
  • 点数がもし、10点だったときに、親に怒られて落ち込むよりも、点数を知らずに先生や親からコメントをもらうと元気になると思います。
  • 落ち込まなくて、自信がつきます。でも、評価があるから点数が気になるときもある。
  • いいと思います!テストが悪かったら落ち込むけど、点数がないとどこが悪かったか、どこを次に生かすかを考えるなら、次頑張ろう!という気持ちになれます!
  • コメントだと直していった方がいいところが分かるからいいと思うけど、私は点数で成長していることとかが分かるから、人に点数を書く書かないを聞くといいと思います。

6年生、14人中12人がこのやり方に肯定的で、2人が点数をつけてほしいということでした。

 

評価に関する取組をして考えたこと

どちらもやってよかった!

単に元気につながる取組であるだけでなく、評価について考える機会にもなりました。

だからこそなのですが…

②についての「点数で成長していることが分かる」という意見…

いや、ここ最近、評価に関する本を読む読んでいるところなのですが、読めば読むほど、評価について分かっていないなー!と。

 

今回も、これまでの評価のやり方を変更しただけで、そもそも評価の仕方はどうだったのか?

点数ではなく成長が分かるような評価とは?

単元のスタート時にその単元を学ぶとどんな価値があるのかというインストラクションはしているものの、それは最終ゴールと結びついているのか?

エンパワーできているのか?

 

今、かなり悩んでいます。

でも、よかった。(本当に!)

アンラーンのスタートライン。

ちょっとトンネルは長そうですが、(だから元気に関する取組と並行しつつ、)評価について、ちゃんと学びたいと思います。

まずはこれらの本を読む。ちゃんと。

f:id:ken10idio:20240202212548j:image

 

 

他にオススメの本、ありますか?

 

 

 

 

自分に影響を与えた先生についての交流会を行って

学校の内外含め、あなたの学習と指導の両方に影響を与えた教師をリストアップし、自分の学び方や教え方にどう影響を与えているのかについて考えたこと(自分に影響を与えた先生 - マツケンの記録場)をもとに、交流会を行いました。

 

とても楽しかった!

ぼくも含めて4人、それぞれにお話しされたりやり取りしたことからいくつか。

 

  • 押しつけようとか何かを授けようというより、自分自身を尊重してくれた。
  • 自分のことを開示できていなかったとき、「息苦しそうに見える」と言われ、的を得ていた。
  • 「生きよ堕ちよ」というメッセージをもらった。
  • その後、本当の自分で生きられるようになった。
  • 生徒のマインドが変わる瞬間を見たいから教師をしていると気づいた。
  • 自分らしくいられる。

 

  • 人間的魅力に溢れている。
  • 芯がある。
  • 学び手である(学び続ける先生)。
  • 好奇心をもち、やりたいことにチャレンジしている。
  • 感情に左右されない。
  • 誰に対しても公正・公平。
  • 「らしさ」がある。
  • 先生として、というより、人としてそうありたい。
  • 自分らしくいられたらいい。

 

  • 「生徒が教えない授業」に懐疑的だったけど、手引書を見ながらやってみると子どもたちのエネルギーが解き放たれたのを目の当たりにした。
  • 初めて、本の通りになった。
  • 教師がジャマしていると感じた。
  • その本の著者の方は信念があり、言っていることとやっていることが一致していた。
  • ある方のセミナーに何度か参加し、質問したくて1時間前に行ったら、その方ご自身が1人で会場の掃除をされていた。本物だと思った。
  • 信頼したくなった。
  • 人間性
  • 人としての在り方が尊敬できる。

 

  • 生き方から学んだ。
  • 居るだけで好き、人として好き。
  • ありのままを受け入れてくれてた。
  • 分かってくれるという安心の場
  • 恥ずかしがりやだったけど、ちゃんといつもやっているのを見ているから大丈夫だよと後押しされ発表したら、その後自分が開花していった。発表することはコワイことじゃないと思った。
  • 自分でいていい。
  • 同じとこに居てくれた。
  • 自分が自分であることで輝ける。

 

参加した4人の「自分に影響を与えた先生」は、もちろんそれぞれ違うのですが、何か通ずるものがある気がしました。

それらを大きな括りとしてまとめると、「人としての在り方に尊敬できること」、そして「自分が自分であることで輝けるような関わりをしてくれること」かなぁと感じています。

 

「人としての在り方」については自分をよく知り(エネルギーを奪うもの、与えるものを把握し)、調整することでよくしていけるかもしれません。また、「自分が自分であることで輝ける」については子どもたちの好きなことや得意なことを知り、広げていく(子どもたち同士も知れるようにする)ことで、子どもたちが自分らしく輝けるきっかけづくりができるかもしれません。

 

まずは向こう一週間、自分をよく知ること、つまりエネルギーを奪うものや与えるものを記録することにチャレンジ。

そして一週間後にまた、交流会です!

 

 

それにしても、自分自身のことをこんなに見つめ直す機会ってなかなかないなと思います。

だからこそ、やってみていく中で思うこと。

自分を知ることで相手の知り方、も変わってくるなぁということ。

自分でも自分のことをよく分かっていないのに、相手のことを分かった気になって、(むしろ分かろうともせずに⁈)自分の枠に当てはめたり、何かを押しつけたり、レッテルを貼ったりすれば、当然元気は奪われていきますね…。反省…。

 

子どもたちのこと、もっとよく見よう、知ろう、話そう、声を聞こう、という気持ちがつよくなっていっています!

 

 

 

 

自分に影響を与えた先生

参加させていただいているプロジェクトで、元気な先生や元気な学校について考えています。

 

その取組のひとつ。

「学校の内外含め、あなたの学習と指導の両方に影響を与えた教師をリストアップする」

自分の学び方や教え方にどう影響を与えているのかを考え、元気な先生やよい先生についてのヒントを得ようと思いました。

 

リストアップせずとも、即座に思い出される先生がいます。どんな先生かと言うと…

 

先生であろうとされたことがない先生です(笑)

そのアイデンティティすらもとうとされません。

 

時に恋バナを友だちかのように聞きたがったり、はたまた(お酒など)欲に弱かったりという人間臭い部分が垣間見える一方で、自らの学びに関しては誰よりも厳しく、常にアップデートされている姿は、時に神々しさを感じることもあるほど!

 

また、人として対等に接してくださいました。

「そんなことも知らないのか」なんて微塵もない。変にお膳立てもされない。すごいと思えばすごいと言われるし、そうでなければ特段何もない。褒めるみたいなことがないのです。変に褒められても、対等に接してくださるとは思えなかっただろうと思います。

 

そしてぼくたちの成長と学びをサポートしてくださいました。サポートというか…一点の曇りなくぼく(ら)のことを思ってくれているという確信がありました。知や人、新たな世界への出会いをくださる。だからといって、あれしなさいこれしなさいなんてことは全くない。困っていれば何時間だって相談に乗ってくださり、一緒に喜んだり悲しんだり。加えて自らが学び、よく生き、そのことを楽しそうに、かつ無邪気に話される!

 

そんな姿に、先生と認めたいという欲望に似たものがやってきたのでした。よい先生、よい教師になろうではなく、1人の人間としての魅力が結果的に、ぼくにとっての先生で在ったのです。

 

よい先生になりたいという思いから学び続けることは大切であろうと思います。でも、何か人間としての在り方から、先生として在る人になれたらと思わせてくださる先生なのです。

 

語りすぎました(笑)

本題はここから!

上記の先生だけでなく、自分に影響を与えた先生をリストアップ。

f:id:ken10idio:20240122212048j:image

 

そうして気づいたこと。

Kにあたる先生はどの先生も、

  • 「人間的魅力」溢れる先生
  • 「芯がある」先生
  • 「学び手」である先生(学び続ける先生)
  • 「好奇心」をもち、
  • 「やりたいことにチャレンジする」先生
  • 「感情に左右されない」先生
  • 「誰に対しても公正・公平」な先生
  • 「らしさ」がある先生

でした。これらをリストアップしていると、先生にとって必要なものというより、人としてぼくが大切にしたいことと一致している気がしてきました。「人間的魅力」溢れる人でありたいとは正直思ったことはありませんが…他のリストが満たされれば、もしかしたら「人間的魅力」につながるかも?!

 

そうこう考えているうちに…

人としてなりたい自分と先生としてなりたい自分が全く一緒とはならずとも、重なるところが多い方が、元気な先生でいれるように感じてきました。

 

そう言えば、クラスに担任として居て、「あぁ幸せだなぁ。」と思えるときって、自分のありのままでいられるとき、つまり、先生という仮面を被って子どもたちと接するのではなく、互いに信頼し合える関係性の中で、松永賢斗としていられるときだなぁとも思います。

 

無理やり結びつける訳ではないですが、

元気とは?本質観取をやってみて。 - マツケンの記録場

子どもたちと取り組んだ本質観取。

元気とは、安心と信頼の中で、周りのことが気にならず、自分がやりたいことを笑顔で思いっきり楽しめる状態。

自分がやりたいことを楽しむって、仮面を被っていてはなかなかできないですね。

先生としての職務・責任はもちつつ、自分らしさを大切にしていければと思います。

 

さてさて、今週末は同じテーマについてプロジェクトメンバーの方とやり取りします。また考えが更新されるかも。楽しみです!

 

読むとはどういうことか、学ぶとはどういうことか

先日の読書会で、読むとはどういうことかについて教えていただきました。恥ずかしながら、ブッククラブ関連の本を読んだことがあるにも関わらず、そして読書を中心に(教育について)学んでにるにも関わらず、「読む」ということが全く意識できていなかったことに気づきました。

 

読むとはどういうことか

  • 考えこと、意味をつくり出すこと。
  • 読んでいる時は、思考が頭の中をかけめぐっている。
  • 見方/視点をつくり出している。
  • 場合によっては、生き方まで変わるときも…。
  • 読み手は、部分的には書き手でもある。

 

「優れた読み手が使っている方法」とは何か

  • 自分や、他の読み物や、世界とのつながりを見出す
  • イメージを描き出す
  • 質問をする
  • 著者が書いていないことを考える(つまり「行間」を読む)
  • 何が重要かを見極め、他の人に説明できる
  • さまざまな情報を整理・統合して、自分なりの解釈や活かし方を考える
  • 自分の理解をチェックし、修正する

 

さらに、人は自分が読めるもの/読みたいものしか、その時点では読めない、ということでは?という視点もいただきました。

哲学では、欲望相関性の原理という考え方があります。これは、物事は自分の欲望に相関的に捉えられるというものです。苫野一徳がよく使う例を用いると、ペットボトルに入った水について、喉が渇いていれば飲み水として立ち現れるし、火事が起こりそうなら火消し水になるし、もしかしたら攻撃するための武器になるかもしれない…その時にもっている欲望によって規定されるのです。

選書するときも、意識しないと自分の考えに近いものを手に取ってしまうのは、「やっぱりぼくのやっていることって間違ってないんだ。」と思いたい欲望があるからだと思います。

 

だからこそ、関係性のある人たち(関係性が希薄だと共感できず、考えることができない)と読み合うことは、自分の限界を超えて、自分が読めることを深めてくれる、とも教えていただきました。本当にそうだなと思います。

 

読書会ではその後、読むとはどういうことか、エレベーターピッチを用いて15秒ほどで考えをまとめてみました。ぼくが考えたエレベーターピッチは、「情報を受けるという一方的な行為ではなく、そこから考えを生んだり思考を深めたりして、頭の中をGoogleマップ化していく、点と点が結ばれていって地図をつくるようなもの。」

他の方からは、「クリエイティブな発展」や「能動的な行為」「意味の網目」「仲間との関係性が大事」などといった言葉が出てきました。

 

そうする中で、読むということと、学ぶということは同じであるように感じてきました。

読むこともまた学ぶことですので、当然のことと言えばそうなのですが、

 

学ぶことも、情報を受けるという一方的な行為ではないはず…。能動的な行為であるはずだし、仲間との関係性も大事です。そして考えや意味、見方や視点をつくり出しているはずなのです。何が重要かを見極めることができるようになり、自分なりの解釈や活かし方を考え、自分の学びをチェックしよりよくしていく。そうして世界は広がるし、まさしく生き方だって変わることがあるのです!

 

読むペースが人それぞれ違うように、学ぶペースだって人によって違う。

読みたいものが人それぞれ違うように、学びたいものだった人によって違う。

1人では読むことへの限界があるように、学ぶことも他者の力が必要不可欠。

だから、それぞれの興味関心に沿って、自分に合ったペースで、自分に合った学び方で、必要に応じて必要な人と必要なコミュニケーションをとりながら学んでいく。得意不得意や考えていることが違うから学びは深まり、さらに学びたくなる。学び続ける。壁にぶつかっても、仲間と解決して乗り越えることができることを知っている。学ぶことを通して出会うもの、関わる人へのリスペクトが生まれる。自分の成長が実感できる。自分ってオッケーなんだと思える。今度は誰かの役に立てることもあるかもしれないし、そうやって力を貸借りし合って共に学びを深め合っていく…。

 

読むとはどういうことかについて考えることができたおかげで学ぶとはどういうことかについても考えが回る。それがものすごく楽しい!

元気が出るってこういうことだなと思います。

学校は学ぶところ。学ぶこと自体が楽しければ、学校は元気になるはず!

明日は研究授業で算数の個別化・協同化の実践を見ていただく日。事後研究会ではどんな話が先生方とできるだろう?ワクワク!

元気とは?本質観取をやってみて。

学校を元気にする…そのために何ができるか考える中で、そもそも元気ってなんだろう?という疑問が湧いてきました。

とは言え、元気の捉え方は人それぞれです。ぼく自身は、「(心も身体も)やりたいことがやれる状態」かなぁと感じていました。やりたいことがあって、やりたいことができるという希望や信頼に溢れたらいいなぁと!

 

元気の捉え方は人それぞれでも、元気を目指して取り組んでいく。そうして実践が溜まってきたときには、共通する何かが見えてくるかもしれません。

 

そう思いつつも…

子どもたちに力を借りて、元気の本質を考えてみました。考える方法は、本質観取。

 

さまざまな物事や問題の本質を、深く洞察して言葉にすること。「なるほど、確かにその考え方、言い当て方は本質的だ」とうなってしまうような言葉を編み上げること。それが「本質観取」です。八木書店『ほんとうの道徳』苫野一徳

 

物事や問題の本質が分かれば、それをどう行なっていけばよいかが分かります。

実際の本質観取では、こんなやり取りが行われました。

 

低学年の人たちが、寒い中半袖で遊んでいるのを見ると元気だなぁと思う!

〇〇先生っていつも元気じゃない?明るい感じ。

元気といえば、新しい顔になったアンパンマン

出てきたもの、みんな笑顔かも。健康でもある。

 

元気なときってどんなとき?

やる気がある。やる気に満ちている。ポジティブ。

…だからストレスがないとき?

楽しいこととか好きなことができるときかも。

応援されたり励まされたりしたときも元気が出る!

ということは、自分にとってなにかプラスのことがあって、嬉しくなるような感じ?

やっぱりポジティブなときかも。アンミカさんみたいな!

…幸せ?とか?安心感は要りそう。

感謝されたときも元気になるかも。

誰かの役に立ったりいいことをしたりしたときも?ということは、自分にとってなにかプラスのことがあるだけではなくって、相手にとってのプラスもありそう?

 

共通するものって何かな?

笑顔とかポジティブとか、気持ちが明るくなるとか。ということは、ストレスがないってこと。

ストレスってなに?

周りを気にしていないってことじゃない?

自分のやりたいことをやっている!

周りを気にしないというより、周りが気にならないという方がしっくりくるかも。

逆に周りが気になるって、例えば?

どう思われるかな?とか、何か言われるかも…とか。つまり不安な状態かな。

安心と信頼が大事かも!

 

ここまで出てきたものから、元気とは?

元気とは、安心と信頼の中で、周りのことが気にならず、自分がやりたいことを笑顔で思いっきり楽しめる状態。

いいと思う!

 

本質観取はその時間の中だけで完結するものではありません。継続して考えたり、他の人に承認を投げかけたりし、より深い共通了解の可能性を探っていきます。

 

ただ一旦、子どもたちと考えた元気を用いるならば、安心できたり信頼できたりする環境をつくる・ストレスフリーな状態に近づける・やりたいことに思いっきり専心できる方法を模索していけばよいということになります。

 

今一度、『The Energy to Teach』を読みながら、実践を積んでいこうと思います。